情報量
圧倒的に、情報量が少ないフィリピンでも、特に困らず生活ができてしまう。これが、不思議でしょうがない。日本にいた頃は、とにかく経済動向に注視しなければと、先入観のように毎日、日経新聞に目を通し、投資家でもないのに株価から経済動向を予期してみたり、していた。今思えば、情報中毒というか、特に関連性の無い各国の動向に一気一憂していたのだ。でも、今はまるでない。それでも、まるで困らない。
まず、大きな原因はリーマンショックの影響は大きかった、とにかくアメリカの見ず知らずの人たちの債権が破綻しただけなのに、我々含め、多くのジャパニーズサラリーマンが慌てふためいたのだった。当初計画されていた、年間計画が狂い、営業戦略もグタグタになってしまい、誰も先が読めなくなってしまった。その為、事前に危険を察知しようと、また追い風を捕まえようと、必死で情報を漁るようになってしまったのだ。
ただ、今振り返ると、否定はしないが、その情報自体の信用性は疑問である。誰も予測できない経済動向を、年始になると各シンクタンクが発表する。それを眺めながら、年間営業計画を策定していく、マクロから落とし込んだ下げ率や上げ率を、自分の顧客マーケットに当て込み、策定していく。しかしである、その数値すら当たっていない、そこから策定した計画等は机上の空論である。それでも、色々なアクシデントの中、荒波の中、ジャパニーズサラリーマンは必死で営業計画の完遂を目指す。何か、けな気である。
つまり、最初から不確かな、経済動向白書を参考に組み立てた、サラリーマンの営業戦略は、またこれも不確かであるにも関わらず、経営陣は計画書の完遂を必達と言い張るのである。これは、可愛そうである。
今、私はフィリピンにいる。経済ニュースは垣間見る程度に確認するが、だからと言って一気一憂はしない。必達目標は存在するが、イレギュラーは皆、理解してくれる。居心地が良い、というよりは人間らしい。ミスは起こるし、想定外は存在する。その中で、誰かのせいにして、計画立案の責任を取らせる、そんな責任感とガムシャラに数字と向き合うジャパニーズサラリーマンをまるで、主従関係の頃の武士のように、私は思う。
最近の日本はどうなのだろう?漠然とした疑問が頭によぎる、今日この頃である。
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