Monday, June 29, 2015

ボラカイでのサンゴ礁危機的状況

フィリピンニュースより

フィリピン屈指のビーチリゾート、ボラカイ島の環境汚染が深刻化している件に関連し、国際協力機構(JICA)が同島の環境破壊が進んだ場合、同島の海洋生態系が危機的ダメージを受けると警告した。8日付現地メディアが伝えた。フィリピン国統合的沿岸生態系保全・適応管理(CECAM)プロジェクトの一環として、JICAが日比両国の科学者グループと行った5年にわたる調査によると、同島のサンゴ礁生態系が観光関連活動により深刻なダメージを受けていることが判明したという。JICAによると、同島の衛星画像を分析した結果、ボラカイ島のサンゴ礁は1988年から2011年にかけて70.5%減少。特に観光客数が38.4%増加した2008年から2011年の間に著しい減少が認められるという。
(フィリピンニュースより)

私の意見より

どこまでも、透き通るようなスカイブルーの海が続く、フィリピン。数々の島々からなり、有数のビーチが観光客をもてなす、まるで楽園かと思わせるような絶景の海の景色が環境破壊とは別世界かと勘違いさせてしまう。ここ最近では、フィリピン英語留学ブームも手伝い、日本人観光客も増加傾向にある、私が住むセブ島。出来るだけの、多くの方達にセブの魅力を伝えたい、フィリピンの魅力を伝えたいと思うものの、人が集まれば集まるほど、問題が増加していくのは世の常でしょうか。観光客が増加すると、目当てにしていたセブの自然環境を少しづつ傷つける。
「フィリピンは良い国ですか?」漠然とした質問に答えに窮する。犯罪も多く、警察もイマイチ信用ができない、人々は隙あらばお金を欲しがり、多くの人間が貧困層と言われる。かたや物凄いお金持ち、モールオーナーと呼ばれる一部の人たちは高級な外国車を何台も持ち、まるで王族のような暮らしをする。中間層は少なく、その分外国人が中間層代わりの役割を担う、今でも欧米人のリタイヤメントが若いフィリピーナを捕まえて余生を楽しんでいる。
歌うことが好きで、与えることも好き、基本的なカルチャーは"シェア"である。家族の誰か、近所の誰かがお金があれば、食べ物のようにシェアしてしまう。驚く程、平気な顔で「お金くれ」と問いかけてくる。そこに、打算はなく、純粋に無ければ"シェア"する何でも。優しいのか、厚かましいのか、ワガママなのか、怠惰なのか、何とも言えない複雑な感情を日本人であればもってしまうであろう。一言では善悪を言い表すの非常に難しい。
ある友人の話、フィリピンの繁華街で携帯電話をストリートチルドレンにスられた友人がいた。直後に気づいた友人は、即座に少年に駆け寄り、強く腕を押さえつけた。「携帯を返しなさい」彼の願いも頑なに少年は拒んだ為、嫌がる少年を何とか、取り押さえながら警察署まで連れて行った。その後、友人は警察に理由を説明し携帯電話を返却を強く要請すると、「携帯返して欲しければ、500ペソ(約1,500円程度)払いなさい」フィリピン人の警察官が言った。友人は「?」なぜ、窃盗されているのに自分が。。。。そんな、思いを抱えつつ、友人が500ペソ支払い警察官に渡した。すると、警察官が少年に500ペソを渡し、携帯と交換し、そして友人の手元に携帯が返って来たのである。
少年はお金に困っていたのであろう、警察官は事情を何か把握していたのであろう、なぜ何も悪くない友人が一番損をしている結果になっているのか?全てが納得いかないと憤る友人の話を聞きながら、何ともフィリピンぽくて納得してしまう自分がいた。

Monday, June 22, 2015

夏が近づくと

夏休みです。

6月も半ばを過ぎ、当校では今や夏休み期間中の予約の真っ最中というところでしょうか、アコモデーションの部屋もみるみる埋まっていきます。生徒さんも夏へ向けて、毎週増加してきており、日毎に当校が賑やかになっているような気がしてきます。

先日、4日間程、日本へ帰国し免許の更新をおこなってきましたが、久しぶりの日本に改めて感じた事を書いてみようかと思います。

まず、空港に降り立ち、ふと気付いた事は"静けさ"でした、セブのクラクションと人々の喧騒の中で飛び乗った飛行機を降り立つと、非常に静かな印象の日本が、自分を待っていました。ちょうど1年ぶりの帰国、何か変化しているだろうと、何か変化を期待しながら、京成スカイライナーへ乗車。車窓から見える風景は何も変わっておらず、埼玉の実家まで電車に揺られて変化していない事への驚きがありました。

実家の浦和の駅周辺においても、目立った変化はない印象で、少し驚きを欲しているところだったので、若干残念な気分になりました。これがセブであれば、至る所でコンドミニアムの建設予定があり、各種モール建設予定があり、空港の拡張予定があり、と街並みが目まぐるしく変化しているところ、すっかり老練な雰囲気を醸し出してしまっている日本では、どこか諦めに似た街のモードが漂っている気がしたのです。

経済停滞と揶揄されてから既に20年以上、失われた20年という言葉が示す通り変化を欲しながら変化できずにいる日本を見た気がしました。
TVをつけても1年前と同じキャストの面々、TV番組も何年も変わらないどこかで見た内容、当たり障りのない無刺激なコメント、、、、

70年代は、若者が意見し、アバンギャルドが溢れ、未来を夢見ていたが、その後大人になってしまった日本が、未来を悲観し、若者が黙り、ただ責任感が漂う、窓際管理職のような00年代という感じでしょうか。

Tuesday, June 9, 2015

日比接近

アキノ大統領来日

という事で、南沙諸島での中国の現実的脅威に対抗する意味で、中国の力による現状変更への対抗策として、日本へ接近するフィリピン政府。一方、中国政府は対立を煽り立てるとして、フィリピン政府の指摘を牽制する。
 今回の訪問で、アキノ大統領は、例にナチスを挙げ、明らかに中国を意識した発言を行い、中国からの批判を浴びている。一方、日本では中国を否定する報道がメインストリームでなかろうかと思う。
 天皇陛下訪問の際は、戦後70周年の節目に、天皇陛下直々に、大統領へ過去の侵略に対するコメントとして、「私ども日本人が深い痛恨の心と共に長く忘れてはならないことであり、戦後70年を迎える本年、犠牲者へ深く哀悼の意を表します」と述べそれに対し、アキノ大統領が「「過去に経験した痛みや悲劇は、相互尊重や尊厳に根ざした関係構築に努めるという貴国の約束によって癒やされてきました」返答した。

 日本の国会では安全保障法案が、議論されている真っ最中だと思いますが、衆院憲法審査会では当該法案が「違憲」という判断が下されてしまった。私は現在日本にいないので、日本の世論がどういう反応を示しているのかは、定かではないが、私の少ない情報を掻い摘むと、反対意見が多く噴出しているのではないかと想像している。

 G7では、積極的に安倍首相がメルケル首相等と対話を推進するものの、今やG7には「AIIB」参加組がほとんどとなってしまい、日米の対立中国による、世界軸創造には無理が生じつつあり、東アジア(南沙諸島や尖閣諸島問題)の領土問題には訴えたところで、地政学的にあまり関心が向かない。そんな中、実体被害を訴えるフィリピンと日米強化路線により、中国との対立軸を鮮明にする日本とが、利害一致した結果であろう。

 しかし、フィリピンと日本の立ち位置には気をつけなければいけない、フィリピン政府は「AIIB」に参加表明をしているし、詳しく言えばフィリピンと中国は深い関わりがある。チノイと言われる、中華系フィリピン人(華僑)がフィリピン経済を支配していると言っても過言ではないほど、ほとんどのモールオーナーやお金持ちはチノイである。フィリピンは経済的な連携は中国と深めつつ、領土問題等、軍事面で対立する際に、軍事拡大路線を進む日本と連携を模索しているのであろう。

 こう説明していくと、なんともしたたかであり、非常に参考になる立ち居振舞いではなかろうか、決して強国とは言えないフィリピン政府の"上手い"外交ではなかろうか。日本は「ADB」を通し、フィリピン政府へインフラ整備の為、特に公共交通機関の整備へ融資を行うとの情報もある。つまり、フィリピン政府は「AIIB」と天秤にかけ、アジアで存在感を示したい日本は、「AIIB」に対抗しようと必死に「インフラ融資しますよ」と言っている訳だ。

 日本は本当に、今の日米同盟強固路線で良いのだろうか?もう、少し視野を広げ世界を見渡す必要があるのではなかろうか。

Sunday, June 7, 2015

お誕生日

38度目の誕生日

6月7日私の誕生日でした、かといって何かパーティーのような催しもなく、特段何も変わらない日曜日として過ぎたのですが、、、。

 敬虔なカトリックが多いせいでしょうか、とにかく誕生日を祝ったりと、パーティー的なことが大好きな、フィリピンの方々には珍しかったようで、どこでパーティーをやったのかと何人に聞かれた事か。「特に普通の日だよ」と返答するたびに、「why?」という疑問を投げかけられたのですが、友達がいないからという悲しいセリフも言えず、「そんなに重要ではないよ、誕生日はね。It's Japanese culture!」という嘘を交え、やり過ごしました。確かに、国籍問わず、誕生日はやはり特別な日であり、日本でも通常は誕生日を祝ったりするのが、普通なのかもしれません。

 但し、私個人としてみれば、誕生日という事で何か特別な事が発生したのは、せいぜい小学生高学年程度までで、実際その後は、特に平日と変わらず、通常の日という認識で過ごす癖がついてしまいました。以前のサラリーマン時代は、さらにそれが加速し、誕生日になった日に「あ、今日は誕生日か」と気づく始末で、どちらかというと、クリスマスや、バレンタインデーの類と似て、彼女もいなければ特に重要ではない日となってしまったのです。

 当時の私の持論としては、誕生日は全ての人に1年に1日設定されてるわけで、全員の誕生日を祝うとなると、会社関係、顧客様関係と常に誰かの誕生日ではないか、という何とも、誕生日が一つのタスクのような捉え方で、誕生日を祝うという事に対しては、非常に否定的なスタンスで生きてきてしまっていました。
 そんな時、私の誕生日だと知ってカラオケ屋のスタッフ、1曲ただで歌わせてくれると、サービスだと、(実際余計な御世話なのだが)マイクを渡されて、呆然としてしまった。そうすると、店員が今度はお前は歌わないのかと、ではお前のために、俺が歌ってやるとという展開になり、男のガラガラ声に感謝され、「Happy Birthday!!」。。。。
 こんな時に、どうやって感謝を示せば良いのだろう、今まで、自分の誕生日を意識してこなかった事を、初めて後悔した。 In the philippine 2015.でした。