国際感覚とは。
一言に国際感覚を養うというと漠然としていて、具体的に国際感覚とは何かということを定義するのは難しい。国際感覚という言葉のみが一人歩きをし、国際感覚はグローバル社会に必要な素養だといわれるが、具体的に何を指すのか?イマイチ明確ではないのである。私自身も明確な返答には苦慮してしまう。つまり、正解がない。
それでは、今日はフィリピンから見る、国際感覚とは何かを定義してみよう。例えば、トイレ、フィリピンではティッシュは流せない。お尻拭いた後、ティッシュを流してしまう人は、日本式である、トイレの詰まりを想定する必要があるのだ。
また、食事もそうである、当然高級レストランに行けば、美味しいものは食べれるし、日本食もある、但しこれはリゾートである。非日常を体験するための装置として、存在する、日常は違う。日本なら、吉野家のような安くて美味い店が山のようにある。これは逆に珍しいといって過言ではないであろう。一般的にチープな食事は味もチープである。フィリピンも例に漏れない、物価が安いと言って現地のローカルな食事が食べられなければ、生きていくのは難しい。
また、現地の人は時間を守らない、いや最近気づいたのだが、守れないのである。交通機関や道路等のインフラが整っていない、渋滞に巻き込まれれば遅れるし、タクシードライバーはよく知っていて、渋滞時間の渋滞エリアへは行かない。というよりは、メーターだけでは行ってくれない、チップだ、追加費用だと請求してくる。日本のように、どこでもお客様は神様です、と言って送迎はしてくれない。
まとめると、こうだ。多少汚いトイレでも用を足すことができ、多少不味い食事でも生きて行くことができ、何時でもどこでも均一なサービスを受けることはできないので、それを許容できる度量と、その困難にも打ち勝つタフな精神という事か。
書いていて思う。。。これが国際感覚? 海外マーケットへ打って出るビジネスマンのイメージがこれか?と思うのではないか。でも、はっきり言う、よほど大きな投資家や、よほどの大金を動かすようなビジネスマンではない限り、これが現実だ。これがベースにあり、仕事をするのである。つまり、私が言う国際感覚とは、昔の人が言う「郷に入っては郷に従え」る事が大切なのである。
この言葉、非常に的確に捉えていると感心するのは私だけであろうか?
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