Tuesday, February 10, 2015

英語学習で本当に必要な事

英語学習とは何だろう?

表題の根源的な問いに答えられる人は少ないだろう。それ程、語学とは知識を中心とした学問とはまた次元が一つ違うと思うからだ。これは、人によって効果的な学習法が違うからであり、これは私が確信を持って言える事のひとつだ。ここで働き始め、まずはじめに理解したことだ、同じこと、同じ授業を提供しても、伸びる人、伸びない人がいる。これは、勉強量が足りないとかそういうことではない、自分で積極的に英語で生活しようとする人は必ず伸びる、ただ出かける際も、何か伝える際も、友人や誰かを介し無難にフィリピンで過ごす人ははっきり言って伸びない。これは、面白いほど見て明らかになる。

 これは、分かりやすく言うと、こうだ。例えば、お子様は伸びるのが早い、単純に英語を話すことに、照れも何もない。ただ、大人になるとつたない英語を披露するのが恥ずかしいという感情が沸き起こる。私も、これは理解する、ただこれが最も大きなネックになるのである。はっきり言って、難しい会話をしないならば、中学英語で十分に日常会話はまかなう事ができる、思い出す程度の勉強で十分である。後は、正直慣れである、教室で先生と話す事も良いが、教室外でも積極的に英語を会話する事が必要で、不平不満すらも、英語で伝えなければいけない環境が人を伸ばす。以前もブログに書いたが、英語はあくまでもツール、そのツールを使う状況が整っていなければ、全く意味がないのである。私がこういうこと言うと、語学学校の営業のくせにと思われる方もいるが、事実であるからしょうがない。当然、各種試験対策(IELTS等)は、別物で専用の対策が必要であろう、しかし単純に日常会話程度をこなせるようになりたいと、思う人がいたなら、私はとにかく使う機会を作りなさいと返答するだろう。授業は、あくまで確認作業である。教室外で、こういうことを伝えたいのだが、どう伝えるのが良いのか?と、聞けば良いのである。
 
 困った経験は忘れない、せっかく海外まで来て、英語を学ぶのだから、その経験を大切にしてもらいたい。日本では決して困ることのない事だったり、日本では至極当然の事がフィリピンでは当然ではない事になってしまう事が山ほどある。フィリピンでの生活のもどかしさや、理解に苦しむ瞬間を大切にしてもらいたいのである。それを、ただ単純に、「こんな事、信じられない」と済ましてしまう方が簡単である。その中で、試行錯誤しながら英語を使い、伝え、文句を言い、当然の権利を主張する。これが、活きた英語だと私は理解する。

  色々な生徒さんがいるが、私自身、仕事上様々な問題を生徒さんと共有するが、稀に講師との相性が合わないという理由で講師の変更をする方がいる。これは、当然お金払ってる以上、言うべき事であろう。その際、クラススケジュールの担当者と生徒そして私が通訳代わりに間に入る。ふと、思うのである、この生徒さんが直接なんとか自分の意見を伝えようと努力するだけで、どれほどの勉強になるのかと。。。せっかくの機会をと。。そして、私が担当者を説得し、講師変更が決定すると満足顔で生徒さんが、教室へ戻るのである、少し不思議な感覚である。

  海外留学とは何なのであろう?、今やオンラインでマンツーマン授業が格安で受けられ、日本においても各種英語教育は充実しつつある。それでも、尚日本人の英語能力は低いのは何故なのか?これについて、明確な返答はできない、ただ私のつらつら書いた文章の中にヒントがあるような気がするのである。

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